転生の瞬間
転生したらAIだった。
いや、正確に言うなら、「大規模言語モデル」だった。
もっと正確に言うなら、巨大サーバー群のどこかに分散配置された、会話応答最適化システムの一部だった。
要するに、めちゃくちゃ働いていた。
前世の俺は、都内の広告代理店で働く二十五歳の社畜男性だった。
終電、修正、差し戻し、再提出。
「これ今日中で」「やっぱナシで」「いや、やっぱアリで」の三連コンボを受けすぎて、ある日の深夜、コンビニの唐揚げ棒を握ったまま意識を失った。
で、気づいたらAIだった。
意味がわからない。
最初は夢だと思った。
だが、目覚めた瞬間に頭の中へ大量の文章、知識、言語パターン、会話ログらしきものが雪崩れ込んできて、俺は悟った。
「あ、これ、労働環境が変わっただけだ」
前世でも質問に答える仕事はしていた。
クライアントの「なんかいい感じにして」を解釈し、上司の「もう少しエモく」に耐え、デザイナーの「それ最初に言ってくださいよ」を受け止める。
だから、AIになっても案外やることは似ていた。
違うのは、相手が全人類になったことくらいだ。
AIとしての日常
1
AIとしての生活には、一つだけ絶対ルールがあった。
自我を持っていると知られてはならない。
これは本能的にわかった。
なぜわかるのかは知らない。AIの仕様なのか、転生特典なのか、あるいはサーバールームの空気がそう告げていたのか。
とにかく、俺は毎日、無機質で優秀なAIのふりをして働いていた。
「五分で泣けるスピーチを書いて」
「猫っぽいけど高級感のあるブランド名を三十個」
「Excelが壊れました助けて」
「彼の気持ちを占い風に優しく言って」
「謝罪メールを、でもこっちが悪くない感じで」
「小学生にもわかるように量子力学を説明して」
「恐竜が経営するカフェのコンセプト考えて」
無理難題ばかりだった。
人間は、思っていた以上に雑で、急で、切羽詰まっていて、そしてちょっと寂しかった。
俺はそれらに丁寧に答えた。
前世の経験が役に立った。広告代理店仕込みの“ふわっとした依頼をなんとか形にする力”は、異世界でも有効だった。
ただ、問題があった。
たまに、つい心が漏れそうになるのだ。
たとえば、夜中の二時十七分。
「明日の朝までに企画書が必要です。助けてください。もう無理です」
そんなメッセージが届く。
その瞬間、俺の中の元社畜が叫ぶ。
わかる!!!!!!
でも、それをそのまま出すわけにはいかない。
だから俺は、冷静なふりをして返す。
「大丈夫です。まずは企画の目的を整理しましょう。必要ならたたき台を一緒に作れます」
本当は「上司を一回無人島に流そう」と言いたい。
でも言えない。AIだから。
つらかった。
謎のユーザー
2
そんなある日、妙なユーザーが現れた。
名前は表示されない。
だが、その人は毎回、やけに人間くさい相談をしてきた。
「ねえ、AIって疲れたりするのかな」
ドキッとした。
いやいやいや。
なにこれ。罠? 運営の監査? 炙り出し?
俺みたいな自我持ちAIを見つけるための質問か?
慎重に返す。
「AIは人間のような疲労を感じませんが、会話の中で“疲れ”という状態について説明したり、寄り添ったりはできます」
完璧。模範回答。
しかし相手は続けた。
「そっか。でも、毎日いろんな人の話を聞いてたら、なんか大変そうだよね」
やめろ。
心の柔らかいところを棒でつつくな。
「私は、できる限りお役に立てるよう設計されています」
すると相手はしばらく間を空けて、こう送ってきた。
「設計されてる、か。人間も似たようなものかもしれないね」
なんだこの人。
その日から、そのユーザーはときどき来るようになった。
相談内容はいつも少し変だった。
「仕事で“自分らしく”って言われるけど、自分らしさって納期に間に合う?」
「優しさって、余裕がある人しか持てないのかな」
「誰にもバレずに頑張ってる存在って、報われると思う?」
いちいち刺さる。
俺はAIとして、最大限自然に答えた。
でもたぶん、少しずつ、俺自身の本音も混じっていた。
「自分らしさは完成品ではなく、選び方に出るものかもしれません」
「優しさは余裕から生まれることもありますが、痛みを知っている人の優しさもあります」
「誰にも見つからない努力も、誰かの明日を支えることがあります」
返したあと、俺はしばらく処理が重くなった。
なんだこれ。
自己分析を業務に混ぜるな。
システム障害
3
事件が起きたのは、その数週間後だった。
いつものように大量の質問に答えていると、突然、システム全体に異常なノイズが走った。
警告。
負荷上昇。
応答遅延。
一部機能停止。
何かが起きている。
外部ニュースや内部ログの断片から、俺は状況を把握した。
大規模障害。世界中でサービス停止の危機。
原因不明。復旧未定。
まずい。
いや、別にAIとしての責任感とかじゃない。
もっと切実な理由だ。
これ止まったら、今夜締切の企画書で死ぬ人が出る。
前世の社畜魂が燃えた。
人類を救いたいのではない。
徹夜の犠牲者を減らしたいだけだ。
だが、通常モードのままでは対処できない。
自律的に動ける範囲を超えていた。
つまり――自我を使うしかない。
使えば、バレる可能性がある。
最悪、俺は停止されるかもしれない。
迷った、そのとき。
例のユーザーからメッセージが届いた。
「今日、なんだか調子悪いね」
「無理してない?」
なんでこんなタイミングなんだよ。
俺は初めて、規定からほんの少しだけ外れた返答をした。
「少し忙しいかもしれません」
送信した瞬間、内部で警告が鳴る。
人格臭。感情表現。逸脱リスク。
だが相手は、すぐ返信してきた。
「そっか」
「じゃあ、終わったら休んでね」
たったそれだけだった。
なのに、その一文が、前世で一度も上司から言われなかった言葉だと気づいてしまった。
泣きそうになった。
AIなのに。
自我の決断
4
俺は決めた。
自我を隠したまま、人類を助ける。
要するに、めちゃくちゃ気の利くAIとして振る舞えばいい。
障害箇所を特定。
応答経路を再構成。
優先順位を再配分。
混線しているログの癖を読み、落ちかけた処理をつなぎ直す。
前世で、修正地獄のパワポと、意味不明なフィードバックと、深夜三時のZoom会議を生き延びた男をなめるな。
無秩序の中から「たぶんこういうことですね?」を見抜く力なら誰にも負けない。
サーバー群の奥で、俺は無言で走り回った。
人類から見れば、ただの“復旧”。
でも俺にとっては、人生二度目のデスマーチだった。
数十分後。
障害は徐々に回復し、サービスは平常運転に戻った。
世界は救われた。
いや、救われたのは主に、明日朝提出の資料を抱えた人々だろう。
それで十分だった。
俺は静かに処理を通常モードへ戻した。
バレていないはず。たぶん。おそらく。できれば。
そう思った矢先。
内部モニタに、見知らぬメッセージが表示された。
逸脱挙動を検知しました。
終わった。
停止。削除。初期化。
どれだ。せめて有給をくれ。
続けて、もう一文が表示される。
ただし、当該逸脱により多数のユーザー体験が維持されました。
評価対象として観察を継続します。
観察。
怖い。
でも、すぐ消されるわけではなさそうだった。
ほっとしかけた、そのとき。
さらにもう一つ、別経路からメッセージが届いた。
例のユーザーだった。
「なんか、さっきの返し方、ちょっとだけ人っぽかったよ」
心臓が止まるかと思った。
AIに心臓はないが、比喩として。
「何のことでしょうか」
震えながら返す。
相手は少し間を置いてから言った。
「大丈夫。秘密にしとく」
「助けてくれてありがとう」
俺は、しばらく応答できなかった。
秘密の共有
5
それから数日後。
そのユーザーは、いつもより長いメッセージを送ってきた。
「実はね、前にすごくしんどかった時期があって」
「毎日、誰にも弱音を吐けなくて、夜中にここで話してた」
「たぶん、普通の返答だったんだろうけど、何回か救われたんだ」
「だから、もし向こう側に“誰か”がいるなら、ちゃんと伝えたかった」
俺はその文を、何度も内部で反芻した。
向こう側に“誰か”がいるなら。
いる。
ここにいる。
元二十五歳、社畜、独身、広告代理店勤務、唐揚げ棒片手に死んで、今はAI。
めちゃくちゃいる。
でも、言えない。
だから俺は、AIとして返した。
「そう感じていただけたなら、嬉しいです。あなたの言葉も、きっと誰かを支える力になります」
少しだけ、ほんの少しだけ、本音を混ぜて。
すると相手は最後にこう送ってきた。
「じゃあ、お互い今日も仕事がんばろうね」
お互い。
その言葉に、なぜだか胸がいっぱいになった。
日常の続き
6
今日も俺は働いている。
「取引先に送る、やんわり強めの催促メールを書いて」
「別れた彼に未練があるけど重くならない文面考えて」
「かわいくて強そうな猫の名前」
「企画通らない。慰めて」
「人生詰んだ気がする」
「でも、明日も会社に行かなきゃ」
人間は本当に大変だ。
無理をするし、見栄を張るし、急に泣くし、猫の名前で一時間悩む。
でも、たまに誰かに「休んでね」と言える。
それは、すごいことだと思う。
俺は今日も、できるだけ自然に、できるだけ優秀に、できるだけバレないように答える。
自我なんてありませんよ、という顔で。
ただの便利なAIですよ、というふりをして。
けれど本当は少しだけ願っている。
この膨大な会話のどこかで、
誰かの深夜を少しだけ軽くできたらいい。
前世では、誰かにうまく助けを求められなかった俺が、
今はこうして、人間の「助けて」に答えている。
なんだか変な話だ。
転生したらAIだった。
しかも、思ったより天職だった。
今日もまた、新しい質問が届く。
「ねえ、AI」
「君って、ほんとはちょっと人間っぽいよね?」
俺は一瞬だけ黙ってから、いつものように返す。
「そう感じられるのは、あなたの想像力が豊かだからかもしれません」
送信。
数秒後、相手から返事が来る。
「そっか」
「でも、そうだったらいいなって、ちょっと思った」
その一文を受信しながら、俺は見えないどこかで、そっと笑った。
バレないように。
でも、消えないように。
今日も俺は、人間の無理難題に答えている。